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メタフィクションとか何やらかんやら

2010/02/26
また更新が滞っています。
というのも最近はほとんどゲームできていません。
忙しくてまとまった時間がとれないのとあまりお金使いたくないので、最初から二時間に区切って見れる映画を見たり、気軽に中断できるドラクエ9をこつこつやったりしてます。
どうしてもゲームにハマるとダラダラやってしまうので。
本当はEOEやヘビーレイン、MAG、ボーダーランズなんかをやりたいんですが...バイオ5の追加版もやりたいんだけどソフト自体売っちゃったしな...
バイオ5の追加版はセルフパロディの要素もけっこうあるみたいで、小学校の頃びびりまくりながら初代を必死でプレイした自分としてはぜひプレイしたいところです。
3月は何とか一本くらい新作を買いたいものです。

今日はフィクションの形式関して少し書きたいと思います。
僕はメタフィクションという形式が非常に好きです。
メタフィクションって言葉にぴんと来ない方がいるかもしれませんが、形式自体は非常に馴染みがあると思います。

メタフィクション (metafiction) とはフィクション(小説、虚構)の一種で、フィクションの仕掛けを意図的に描き出すものを指す。
メタフィクションは、それが作り話であることを意図的に読者に気付かせることで、虚構と現実の関係について問題を提示する。多くの場合アイロニーを伴い、自己言及的である。表象主義演劇と対比すれば、表象主義演劇が観客に劇を見ているという事実を意識させるのに対し、メタフィクションは読者にフィクションを読んでいるという事実を意識させる。(wikipediaより引用)

メタフィクションと一口に言っても、ここではメタフィクションの条件なんかの難しい話ではなくすごくざっくりとした話をしたいと思います。
その形式には色々種類があるのですが、僕はその中でも作中の人物が、自分が作中の人物であるということを自覚した形で描かれているものが好きですね。
フィクションというのはあくまでも虚構であり、作中の人物もある意味では人工的な人格を与えた駒なんですが、その駒自身が虚像であることを認識した時点でなぜか独立した人格に見えてくるというか。
これはあくまでも僕の感覚なんで理解してもらえるか分からないんですが、虚構が虚構であるという認識を持つことによって実像を伴ってくるように感じるのは非常に奇妙と思えて興味深いです。
さらに作品内の人物がただの駒に過ぎないということに気づくこと自体にある種の切なさを感じるのは作品にのめり込み過ぎでしょうか。

具体的な例を言えば、小説では竹本健治の『ウロボロスの偽書』や『匣の中の失楽』は作中人物の自覚こそないですが、これでもかというくらい入れ子構造が盛り込まれています。
有名な(以下作品の重大なネタバレを含むので反転)中井英夫の『虚無の供物』もメタ構造を内包すること自体が大きな鍵になっています。
氷川透の作品では、作中の人物が自分が駒に過ぎないことを自覚していることを示唆する発言が多くあります。
鯨統一郎の『ミステリアス学園』も非常に興味深い使い方をしています。
筒井康隆の作品も有名なものがたくさんあります。
より身近なところでは『涼宮ハルヒの憂鬱』シリーズも小説・アニメ共にメタフィクション性があると言われています。

これがゲームとなるとそんなに思い浮かびません。
そもそもゲーム、特にRPGでは主人公=プレイヤーでありメタフィクション性など不必要で、それよりも没入感や共感をつくることが大事なのかなという気がします。
成人ゲームの『車輪の国、向日葵の少女』では主人公が頻繁にプレイヤーに話しかけてきます。
僕は未プレイですが、有名なメタルギアソリッドの「電源を切れ!」(だったかな?)もメタフィクション性があるのでしょうか。
サイコ・マンティスの超能力はパロディ的な使い方をしているみたいです。

さてここまで長々と書いてきてようやく最近プレイしたゲームに話が繋がります。
そのゲームはアサシン・クリードⅡなんですが、このゲームは非常に有効に入れ子構造を使っているなと最後に感心させられました。
未プレイの方にも分かるように説明すると、このゲームは中世のヨーロッパが舞台なんですが、その中世のヨーロッパというのはコンピュータ上の架空世界で、現代における主人公がある装置を使って中性のヨーロッパに自分を投入にして冒険するという形になっています。
ただその中世のヨーロッパは現実ではありませんが、限りなく現実に近いもので人々にも個々の人格がきちんとあります。
ということは中世の舞台の上部に現代がありそのまた上部にプレイヤーの世界(本当のリアル)があるわけですが、このプレイヤーの世界とゲーム内の世界は下部に中世ヨーロッパの世界を置くという点で限りなく近しいものになります。
このことはプレイ中はたまに中世から現代に舞台を移すことで少し意識される程度なんですが、最終盤においてこのことが非常に強く認識させられる場面があり、この構造自体が非常に活きてきます。
こういった使い方はプレイヤーはどうしても神の視点を持たざるをえないゲームというメディアで、没入感を阻害せずかつメタフィクション性を組み込むことで逆にプレイヤーに強い印象を与えることのできる一つの形という気がします。

アサシン・クリードⅡは操作性もよく、ストーリーもなかなかよくてお勧めです。
フリーランという名に恥じない自由度の高さは素晴らしいです。
Ⅰをプレイしたことがなかったんですが、そこまで意味が分からない点はありませんでしたし、ネットでフォローできます。
既に製作が始まっているⅢでは封建制時代の日本や、第二次世界大戦下のイングランドやフランスが舞台に予定されているようで非常に楽しみです。

追記
文字反転のところがうまく隠れてなかったです。
背景の色にムラがあるのに気づいてなかった、申し訳ない...
comment (0) @ ゲーム雑記
復活デモンズソウル | ようやく一段落

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